(三の三)



 鳥羽伏見戦跡碑

 名神高速道路の高架をくぐって、小枝橋を渡ると、道の左手にガードレールの陰に隠れるようにして、鳥羽伏見の戦いの跡を示す石標が、ひっそりと建っている。ここが明治維新への幕を開けることになる鳥羽伏見の戦いの激戦地にあたっていた。




 鳥羽離宮跡

 しばらく行くと、広い公園が見えてくる。平安時代、白河上皇が京都の南に営んだ広大な離宮の跡で、東西1・5キロ、南北1キロ、約1500平方メートルという広大なものだった。現在は公園になっており、北隅の小高い丘は「秋の山」と呼ばれ、かつての離宮内庭園にあった築山だと伝えられている。




 羽束師橋から南を望む

 さらに南へ歩を進めると、桂川に架かる羽束師(はづかし)橋に出る。この橋の南辺りは、かつて草津湊と呼ばれ、京都から西国に向かう川の玄関口にあたる。

 保元元年(1156)、崇徳上皇は後白河天皇との争いに敗れ、讃岐の国に流される。その時、上皇が恨みをのんで乗船したのが、この草津湊だった。ここから北、都の方向を振り仰ぐと、京都の三方を囲むゆるやかな山並みが一望のもとに見渡せる。遠い讃岐国に流される上皇は、この美しい風景を見て、都との永遠の別れを実感したに違いない。


▲鳥羽街道▲