また西大路通より西の、旧二条通の一筋南側の広い道路を太子道と呼ぶこともあるようだが、地元では新二条通と呼んでいるとか。本来の広隆寺への参詣道としての太子道は、もう通り名としては消えかかっているのかも知れない。
このお地蔵さんは壺井地蔵と呼ばれ、今から300年ほど前に黒川道祐という京都の医者が、このあたりを紀行文として記した書物にも、すでに登場している。それによると、このあたりの井戸の中から掘り出された壺の中にお地蔵さんがおられたので、その名が付いたという。かなり古い歴史を持つお地蔵さんということになる。