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 天王山

 天下分け目を「天王山」ともいうが、天正10年(1582)、明智光秀は主君・織田信長を本能寺で討ったあと、西国の陣(備中高松城)から急きょ取って返した豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)と、この地で一大決戦を展開し、光秀軍は敗れる。いわゆる明智光秀の三日天下といれるものだが、その戦いが天王山の戦い、すなわち山崎の合戦であった。



 大山崎離宮八幡宮

 この辺りまで来ると、もう山城の国の端になる。道沿いに鎮座している社が大山崎の離 宮八幡。淀川の対岸の京都府八幡市の山上に、大昔、大分県の宇佐から八幡神を迎えたのが、現在の石清水(いわしみず)八幡宮の始まりといわれる。しかしそれ以前、九州からはるばるやってきた神様が、最初に「休憩」したのが、この大山崎の地だったと伝えている。

 またこの一帯は、中世に油商人が独占的な地位を得て活動したことでも知られ、離宮八幡宮の境内には油商人の像なども建っている。



 摂津・山城の国境碑

   大山崎離宮八幡宮を過ぎるとすぐに、道の左手に山城と摂津(今でいう大阪府島本町) の国境の石碑が見えてくる。さらに道は、はるか彼方の山陽地方へと延びている。


▲西国街道▲