(二の二)



 錦天満宮の鳥居

 錦天満宮の東側に、新京極と寺町通に挟まれて小さな石の鳥居が建っている。この鳥居は一風変わっていて、鳥居の上に横に渡された石の端が隣の建物にくいこんでいる。

 建物の中から見ると、石が壁から突き出しているのがよく分かる。いうなれば、神社とお店と の共存の姿とも言え、京都でもこのような鳥居は錦天満宮だけのもの。





 薩摩藩の京屋敷

 錦市場の西端に行くと、大丸百貨店の裏側に出る。この付近は現在、広場が出来、買い物客の憩いの場となっているが、江戸時代には薩摩藩の京屋敷があった所で、説明板が立っている。

 大名屋敷といえば、立派な門構えと背の高い長い塀に囲まれているとイメージされがちだが、京都に置かれた各藩の屋敷は、どこが入り口が分かりにくく、民家の間の通りを入っていくと屋敷の門がある、といった風景だったようだ。





 糞小路(具足小路)

 さて『宇治拾遺物語』に、この錦小路通にまつわる伝説が記されている。

 母親の供養のため3年間、何も食べなかった聖(ひじり)を、時の右大臣が屋敷に呼んで白米を食べさせた。ところが、米を食べているのは何と聖についてきた数万の鳥や獣で、やがて食べ終わると四条通の一筋北の通りにやってきては、一斉にトイレを始める。このため人々は、いつしかこの通りを「糞小路」と言うようになった。これを聞いたミカドは、四条通の一筋南側の通りが綾小路だったので、綾錦に因んで「錦小路」と呼ぶよう命じた…。

 これは架空の物語だが、錦小路は元は具足小路と言っていたようで、携帯品や調度類を売っていたのでこの名前が生まれた。それが訛って「糞小路」となり、こうした物語が生まれたと考えられる。



▲錦小路通▲