(五の一)



 知恩院

 京都市民は「知恩院 (ちおいん) さん」と親しみを込めて呼んでいるが、正式には華頂山大谷寺知恩教院という。知恩院は、そもそも浄土宗の開祖・法然上人 (1133−1212) が東山大谷に設けた坊に始まる。法然は一時、土佐に流されるが、京都に帰ってからは大谷の禅房、今の知恩院境内の勢至堂のあたりに居を構えた。法然の没後、弟子たちがその住まいの東側に廟を定めたが、延暦寺の襲撃を受けたため、弟子たちは別の場所で法然の遺骸を荼毘 (だび) にふした。その後、13世紀初めころ、弟子の一人、源智(げんち)がもとの御廟を修復し、周囲に伽藍 (がらん) を建てていった。

 知恩院は、応仁の乱 (1467−77) で一時、近江の伊香立 (いかだち)に難を避けるが、江戸時代になると徳川家康の庇護を受けて、寺域も拡張される。その後、火災にあうものの、三代将軍・家光によって伽藍が復興され、いまでも東山屈指の寺院として威厳を保っている。特に三門は、二代将軍・秀忠の建立になるわが国最大の三門で、重要文化財に指定されている。  




 瓜生石

 さて三門を出て、少し門前を歩いてみる。三門から少し北、華頂道との交差点まで来ると、道の真ん中に石の玉垣がしてあり、その中に地面に埋まった大きな石があるのが分かる。これは「瓜生石 (うりゅうせき) 」とか、「かしょうせき」と呼ばれている。伝えによれば、昔この石の下から一夜にして瓜の蔓(つる)が伸びて、瓜が実ったという。また一説には、この大石は地軸から生えているのだとの伝説も残っている。


▼次を巡る▼