「発動 京都の工芸」

反戦と鎮魂 心揺さぶる表現
 染色作家 高谷光雄さん
 染色家の高谷光雄さん(1941−)は昨年11月、4年ぶりの個展を京都市中京区の画廊で開いた。主題は「レクイエム(鎮魂曲)」。戦争の非人間性を真正面から告発する連作が、鑑賞者の心を揺さぶった。

 「虹を見た」は1・7×3・4メートルの大作で、黄土色の背景に、横たわる死者、焼け落ちた教会、かなたへ続くゆがんだレールを配する。中央右上には8月の空を思わせる青い窓に原爆ドームが浮かぶ。どのモチーフもロウ染めによる陰影が印象的だ。右側に飛ぶ白い紙飛行機は、重層的に区切った画面を過去へとさかのぼる意識を示す。死者の衣服も空の青で、たどりついた紙飛行機がここにも飛ぶ。やせこけ、こぶしを握りしめた死者はしかし、胸に虹を抱く。重い主題の中で、そこには救いと希望がある。

 反戦を前面に打ち出す作品を初めて発表したのは一昨年。1928年の思想弾圧事件を主題にした「配達されない荷」、死に神が幼子を連れ去る「種を粉に挽いてはならない」を清流展に出品した。狭いおりの中で骨と皮になった男性が座る姿は強烈な印象を与え「何を狂い出したんや、と周囲は驚きました」と振り返る。「見た人は意味が分からなかったかも知れない。けれども、何かあるな、と感じて欲しかった」。戦前の思想弾圧は共産主義者に始まり、学者、芸術家へ広がった。「絵描きも無関係ではありえない」との思いが、見る人によっては不快感をも与えかねない強い表現となって奔出した。

 戦争を拒む心根の奥には、幼時の体験があるという。京都の呉服商の3男として、日米開戦の2カ月前に生まれた。本土空襲が激しくなると「家族が全滅しないよう」次兄と弟は母と実家へ疎開し、家族別々の暮らしを余儀なくされた。戦後は空腹を抱え「道に落ちた物でも競って食べた」。京都市美大の学生時代は60年安保闘争のうねりの中でデモに通った。

 作品に反戦の思いを託したいと学生時代から考えていた。「でも作品に自信がなく、人前で意見が言いにくかった」。和装のデザインや製作に携わり、30歳過ぎから日展にも連続出品した。樹木や鳥などを意匠化した穏やかな作風で、90年の京展では市長賞を得た。

 変化は50歳で日展を離れたのを機に訪れた。フリーの作家として「内容をしっかり持ち、訴えるものを強烈に出す作品づくりをしよう」と心に決めた。その思いは阪神大震災のボランティアたちに捧げた連作「ノア」や「発掘」を経て、「レクイエム」へとつながる。「年をとって、いろんな経験をして、やっと絵に表せた。もちろんまだ未熟だし、他の表現の仕方もあると思う。例えば花一輪で伝えるような」

 昨秋の個展は6日間で500人以上が訪れ、長年秘めた戦争体験を明かす人、反戦の手段を尋ねる若者もいた。「個展会場を出たら忘れてしまうかも知れない。それは映画や小説も同様です。でも何かあった時、立ち直らせてくれたり、奮い立たせてくれる。文化はそういうものだと思うんです」。そんな刺激を、作品を通して多くの人に与えられたら−と願う。

 写真(右)=美大の恩師に加え「ケーテ・コルヴィッツやオノ・ヨーコの影響も」と語る高谷さん

 写真(左)=レクイエム「虹を見た」2002年  

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