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明治維新から始まり、時代を逆戻りして平安遷都までの歴史絵巻を再現。歴史の教科書に出てくるさまざまな人物が、次々に登場する。
■明治維新時代
(1)維新勤王隊列
維新の際、現在の京都市右京区京北の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模した。鼓笛隊が先頭を行く。
(2)志士列
明治維新の立役者となった志士計14人が「七卿落」列をはさんで次々と登場する。
・桂小五郎(かつらこごろう)1833−1877 萩藩士。後の木戸孝允。西郷吉之助(隆盛)らと倒幕に尽力。
・西郷吉之助(さいごうきちのすけ)1827−1877 薩摩藩士。後に隆盛と名乗る。坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結び、江戸城の無血開城も果たした。後の西南戦争で敗れ自決した。
・坂本龍馬(さかもとりょうま)1835−1867 土佐出身。薩長同盟の成立や、大政奉還の立役者となったが、京都で暗殺された。
・中岡慎太郎(なかおかしんたろう)1838−1867 同郷の坂本龍馬とともに維新に奔走したが、京都で共に暗殺された。
・高杉晋作(たかすぎしんさく)1839−1867 長州藩士。農民らも参加した軍隊「奇兵隊」を創設して活躍。藩を討幕に導いたが、維新を前に病死した。
・吉田 松陰(よしだしょういん)1830−1859 長州藩士。萩の松下村塾で高杉晋作、伊藤博文らを教育したが、幕府を批判したため、安政の大獄で処刑された。
▽七卿落(しちきょうおち)
1863(文久3)年8月、討幕計画にやぶれた三條実美ら尊攘派の公家7名が長州へ落ちのびた事件。ミノをかぶった7人の公家を、よろい姿の久坂玄瑞ら3人の武士が護衛している。
・三條 実美(さんじょうさねとみ)1837−1891 尊王攘夷運動の先頭に立った公卿。維新後に太政大臣を務めた。
■江戸時代
(3)徳川城使上洛列
徳川幕府は大礼や年始などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くした。城使には親藩または譜代の諸候が選ばれた。行列の先頭を行く槍(やり)持、傘持、鋏箱(はさみばこ)の「ヒーサー」の掛け声や動作は、当時の行列の面影をしのばせる。
(4)江戸時代婦人列
・和宮(かずのみや)1846−1877 仁孝天皇の第八皇女。14代将軍・徳川家茂の正室に。江戸無血開城に隠れた功績がある。
・蓮月(れんげつ)=大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)1791−1875 江戸末期の女流歌人。陶芸にもその才能を発揮した。
・中村内蔵助の妻(なかむらくらのすけのつま) 江戸中期、京都の銀座で貨幣鋳造業を営んでいた富豪の妻。衣装比べの逸話で有名。他の豪商は皆、色鮮やかな衣装で競ったが、内蔵助の妻は下に白無垢(むく)を重ね着し、黒羽二重の打掛けという姿で現れた。
・玉瀾(ぎょくらん)1727−1784 江戸中期、独自の文人画を確立した池大雅の妻。浮世離れした大雅を支えた。夫らに絵を学び、画人としても知られた。
・梶(かじ) 東山・八坂神社南門近くにあった水茶屋「松屋」のおかみ。池大雅の妻・玉瀾の祖母にあたる。歌集「梶の葉」を編んだ。
・吉野太夫(よしのたゆう)1606−1643 京の遊里・六条三筋町(島原の前身)の太夫。書画や和歌などに優れた。信仰心があつく、常照寺に山門を寄進した。
・出雲阿国(いずものおくに) 阿国歌舞伎の創始者。京都で念仏踊を披露して人気を集めた。
■安土桃山時代
(5)豊公参朝列
豊臣家の朝廷参上のうち、1596(慶長元)年5月の秀頼の初参内と、翌年9月の元服時の参内などは最も盛んであったと伝えられている。列はそれを表したもの。
(6)織田公上洛列
1568(永禄11)年9月、天下統一のため織田信長が兵を率いて上洛した時の様子を表した。信長のほか、重臣の羽柴秀吉や柴田勝家なども登場する。
・織田信長(おだのぶなが)1534−1582 1573(天正元)年に室町幕府を滅ぼし、天下統一へ突き進んだが、本能寺の変で明智光秀に討たれた。
・羽柴秀吉(はしばひでよし)1537−1598 後に豊臣秀吉と名乗る。織田信長に仕えて頭角を現し、天下統一を果たした。
■室町時代
(7)室町幕府執政列
馬上の足利将軍は烏帽子(えぼし)に金襴の豪華な衣装をまとう。よろい、かぶとはつけず、軽装の小具足(こぐそく)姿で登場する。色鮮やかな甲冑(かっちゅう)をまとった細川氏や山名氏が、お供を務める。
(8)室町洛中風俗列
16世紀に経済力を高めた、京の町衆に広まった「風流踊り」を再現。頭に赤熊(しゃぐま)をかぶったり、奇抜な格好で太鼓や鉦に合わせて踊る。 節回しや踊りは、滋賀県に伝わるサンヤレ踊りを参考にした。
■吉野時代
(9)楠公上洛列
1331(元弘元)年、後醍醐天皇の上洛を導いた楠木正成一族の行列を表す。正成は後醍醐天皇に応じて兵を挙げ、大阪・千早城にこもって幕府の大軍と戦い、建武政権下で河内の国司と守護を兼ね、和泉の守護ともなった。正成、正季の甲冑姿が見もの。正成(1294−1336)はその後、九州から東上した足利尊氏の軍と戦い、湊川(神戸市)で敗死した。
(10)中世婦人列
・淀君(よどぎみ)1567−1615 豊臣秀吉の側室。母は信長の妹・お市の方。秀吉の子・秀頼を生み、秀吉の没後は秀頼を擁して大坂城で実権を握ったが、大坂夏の陣で落城の際、自刃した。
・静御前(しずかごぜん) 源義経の側女。義経と吉野で別れた後、捕えられて鎌倉に送られ、源頼朝夫妻の前で義経恋慕の舞を演じた。後に、能の「吉野静」「二人静」などの題材となった。
・大原女(おはらめ) 洛北・大原の女性は、大原女として、薪や炭などを頭に乗せて京の町へ行商に出ていた。
・桂女(かつらめ) 京都・桂の里に住むアユ売りの商人を指す。白い布を頭に巻いてアユやあめなどを売り歩いた。巫女(みこ)の一種でもあり、婚礼や出産など、家の祝い事に訪れた。
■鎌倉時代
(11)城南流鏑馬列
流鏑馬(やぶさめ)は平安朝から行われた騎射の技で、馬場に3カ所の的を立て、馬を走らせながら射る。1221(承久3)年、後鳥羽天皇が朝廷の権威回復のため、城南離宮で近畿十余国の武士を召集して行った。列は狩り装束の射手を中心とした5組を表している。
■藤原時代
(12)藤原公卿参朝列
平安時代中期以降、藤原氏が最も栄えたころの文武両様の姿を表したもの。列は夏の様式。
(13)平安時代婦人列
・巴御前(ともえごぜん) 源義仲の側女。平安末期、武将として奮戦し、義仲に最後まで連れ添った。
・横笛(よこぶえ) 建礼門院の雑仕。「平家物語」などによると、滝口の斎藤時頼に愛されたが、時頼が出家すると、その後を追って尼になった。
・紫式部(むらさきしきぶ) 平安中期、「源氏物語」を著した。一条天皇の中宮彰子に仕え、「紫式部日記」「紫式部集」も残した。
・清少納言(せいしょうなごん) 平安中期の随筆家・歌人。和漢の学問に通じ、「枕草子」を著した。
・小野小町(おののこまち) 平安前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。絶世の美女で、さまざまな伝説を持つ。
■延暦時代
(14)延暦武官行進列
この列の大将に当たるのは坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ 758−811)。平安初期の武将で征夷大将軍となり、蝦夷(えぞ)征討に大功があった。また、京都の清水寺を建立した。
(15)延暦文官参朝列
延暦時代の公卿諸臣が朝廷に参上する状況を模したもの。
(16)神饌講社
時代祭当日の神饌物を奉献する役目の人達。
(17)前列
御神幸列の前を行くので前列といわれ、雅楽の奏者、迦陵頻伽、胡蝶など優美な行列で多数の狩装束のお供が従う。
(18)神幸列
御賢木(おんさかき)を先頭に、御鳳輦(ごほうれん)を中心とする神幸の本列。先の御鳳輦が孝明天皇、後の御鳳輦が桓武天皇で、宮司以下神職が前後につき従う。
(19)白川女献花列
白川女(しらかわめ)は北白川(現在の京都市左京区)の女性で、比叡山のすそ野、白川に広がる花畑の花を京で売り歩く。平安時代から続いてきた。
(20)弓箭組列
京都の丹波には、源頼政に従って弓矢の術に秀でた人たちが多く、その子孫の人々も平素から弓箭組を組織し、日ごろから射術を研究していた。桓武天皇が平安遷都を行った際、その列を警護し、維新では山国隊とともに活躍したという。
(2010年10月更新)
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